戦争時に修羅場をくぐり抜けてきた祖父が、号泣して膝をついた

最近(今更)知った衝撃の事実・喪女版19
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/wmotenai/1351670332/

594 名前:彼氏いない歴774年[sage] 投稿日:2012/11/15(木) 15:37:23.71 ID:MayHtAO9

このスレでいいのか分からないけど。
祖父が戦争の時に相当な修羅場をくぐり抜け、
しかもその事が本になって出版されてたことに衝撃受けた。

祖父が満洲にいたことは知ってたんだが、
シベリア行きが確定してしまい友人と逃亡したのは知らなかった。
なんでも2~3日は友人たちと逃亡生活を過ごしたけど、人数いると目立つからということで別れわかれに。
祖父は一週間(祖父の感覚では)ぐらい彷徨い、やっと船に潜り込んで日本に帰国したんだって。
逃亡中、現地の中国の人々が匿ってくれたりご飯わけてくれたりしたから、祖父は中国には足を向けられないと言っていた。







何より衝撃だったのは、祖父はあまり戦争の事を話さなかったんだけど、
話すようになったキッカケが、逃亡中途中で別れわかれになった戦友から、今も元気であるという手紙が先日届いたから。
相手方が長い間かけて、祖父の無事を信じて
祖父の消息を探し続けてくれたらしい。
手紙読みながら普段泣かない祖父が、号泣して膝ついたのに驚いた。
祖父が泣きながら「やっと戦争が終わった」と呟いたのが心に残った。
じいちゃん、すげえドラマ。



595 名前:彼氏いない歴774年[sage] 投稿日:2012/11/15(木) 16:00:27.58 ID:i7Ny4uom

>>594
泣いてしまった



596 名前:彼氏いない歴774年[sage] 投稿日:2012/11/15(木) 16:05:40.57 ID:dBUjc7NZ

>>594
・・・ぱねえ・・・・
戦争?なにそれ抹茶ミルクうめえぴーや状態の私とかとはもう国に対する考え方とかなにもかも別物なんだろうな



597 名前:彼氏いない歴774年[sage] 投稿日:2012/11/15(木) 16:06:45.99 ID:h+lyMJZF

すごいね、二人とも生きてて本当によかった



598 名前:彼氏いない歴774年[sage] 投稿日:2012/11/15(木) 16:09:26.79 ID:9SUM0UpY

じいちゃんの戦争が終わってよかった…本当によかった



607 名前:彼氏いない歴774年[sage] 投稿日:2012/11/15(木) 19:05:50.72 ID:Q+As7iur

>>594
二人とも本当に生きててよかったね
というか私も戦争関連の話を書き込みに来たので偶然に驚いた

以下長文スマン



ばあちゃんが私と2人きりになるとよく泣くようになった
私が成人してからの現象だからずっと不思議だった

だから最近会ったときに訳を聞いたら
今の私が戦時中に亡くなったばあちゃんのお母さんに似ているからだと言われた
ばあちゃんから戦争の話を聞いたのも初めてだったから驚いた

戦争の時、ばあちゃんの母親はまだ7歳だったばあちゃんとその弟を連れて逃げていたんだけど
身重で満足に栄養も取れなかったから病気になってしまって、
娘に私の代わりに弟を守ってねといって防空壕で死んでしまった

ばあちゃんは県の北部に住んでいたんだけど米軍から逃げるために幼い弟をおぶって
飲まず食わずで南に歩き続けたらしい
夜に歩いてる時は心無い人にお化けと間違えられて石を投げられたこともあったと

でも力尽きて道に倒れてたとき、米軍のジープが来て連れていかれて
殺される、と思ったけどご飯やお菓子をくれたり、お風呂にも入れてくれてとてもよくしてくれた
のがとても嬉しかったから
命の恩人の米兵さんにもう一度逢いたいと言っていた

色々衝撃すぎるが、ばあちゃんが必死で生き抜いてくれたから今の私がいるんだなと思って
頑張って生きようと思ったよ

>>594のお祖父さんもそうだけど、戦争を生き抜いた人は強いね



610 名前:彼氏いない歴774年[sage] 投稿日:2012/11/15(木) 19:26:14.42 ID:uBnqHcWC

>>607
胸がいっぱいになったよ…
語らないだけで本当にドラマだね

私は父方母方ともにお爺ちゃん亡くなったしお婆ちゃんも2人ともボケちゃったからわからないけど大変な時代で必死に生きてきたんだもんね

本当に頭下がるよ…



671 名前:彼氏いない歴774年[] 投稿日:2012/11/17(土) 00:58:08.60 ID:8tEXSpLs

>>607
自分達のじいちゃんばあちゃん世代は考えられないツラい時代を生きて来たんだよね…
そのたった何十年か後にお国の為どころかお家の為にさえ働かずのニートが出現し
男は勇敢さを女は慎ましさを忘れてしまうとは思わなかっただろうね



629 名前:彼氏いない歴774年[sage] 投稿日:2012/11/15(木) 22:04:15.74 ID:vz7SsEtw

>>594
お国の為にってのが建前なのがよくわかった



634 名前:彼氏いない歴774年[sage] 投稿日:2012/11/15(木) 22:33:47.52 ID:yUfNwoTF

>>594
祖父大事にして下さい。
未だに抑留地で亡くなった方の慰霊があります。
抑留経験者の帰還者は、後悔の念しかありません。
孫世代がそういう動乱の再会を見聞きできたのは、ものすごく貴重で尊い話です。孫として誇りにして下さい。



はてなブックマークに追加

関連記事


【聞いた体験した】のカテゴリ一覧
  1. 名前:名無しさん 投稿日:2012/11/21(水) 21:39:27 コメNo.55058
  2. >>629
    別に全ての帝国軍人が「国の為」に戦争してたわけではなかろうに



  3. 名前:名無しさん 投稿日:2012/11/21(水) 21:51:34 コメNo.55065
  4. 自分の祖父はどちらも戦争行ってない(父方は兵役不合格で、母方は家業でお国に
    尽くせと言われて自宅工場で仕事)ので、こういう壮絶な体験とかなかったのよね
    ぇ…。
    ただ、学生時代、夏休みの宿題で祖父母に戦争体験聞いて来い、ってのがあって、
    母方祖父の話をしたら、そっちの方が珍しかったらしくて先生の食いつきはよかっ
    たけど…。



  5. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/21(水) 21:51:36 コメNo.55066
  6. もう亡くなった大舅が若い頃、戦争で中国に行った。
    戦争が終わるまでは中国の人民は日本人に親切だったそうです。

    大舅に「シナ人を信じてはいけない」と何度も言われました。
    そう言われても、戦後教育受けた自分としては「シナ」は差別用語だなーと思い不愉快に思った位。

    あの頃の私をグーで殴ってやりたい。



  7. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/21(水) 21:58:33 コメNo.55069
  8. >>629
    何を云いたいのか、よく分からない
    国のためってのはつまり、
    自分の大切な人たちの為でもある。
    それがなぜ建前に?



  9. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/21(水) 22:20:38 コメNo.55079
  10. 自分の大切な人のために彼らは戦争に行ったんだよ
    大切な人たちが暮らす国を守る=大切な人を守る という事だ

    私の祖父はフィリピンで戦死したよ
    彼らの命の上に今の日本が成り立ってる



  11. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/21(水) 22:21:16 コメNo.55081
  12. 戦友の死体を積み重ねて隠れて生き延びた事が武勇伝の祖父と大違い



  13. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/21(水) 22:29:15 コメNo.55086
  14. とりあえず勝ってから言え
    ドンだけ後世の国民に迷惑掛けたと思ってんだよ



  15. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/21(水) 22:33:55 コメNo.55089
  16. すごい…。
    この話は色々なまとめサイトに載って殿堂入りすべき話だ。



  17. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/21(水) 22:37:17 コメNo.55090
  18. 私の祖父は、国を守る軍人になろうとして勇躍戦地に赴いたけれど、
    戦って負傷したところ、野戦病院にいる間に撤退する味方に置いて行かれ、
    しかもいつもいいことを言っていた上官が軍医に「傷病者が捕虜になることを避けよ」
    と暗に祖父の殺害を命じていて、軍医が命に背いて患者ともども投降したために助かり、

    捕虜生活から日本に帰ると、「鬼畜米英」「(祖父)は郷土の誉れ」と送り出されたのに
    すっかりアメリカ万歳になっていた日本、おまけに自分は死んだものとして扱われていて
    家に居場所がなく、婚約者はすでに別の男と結婚し、近所も冷淡、周りの同級生は軍隊生活を酒の肴の武勇伝にするばかり、そして祖父は戦友の集まりにも呼ばれない、というなかで、すっかり日本人不信というか人間不信というか、
    国とか組織とかいろんなものに対してすごく冷めたふうになっちゃってたな。
    そうした姿勢から学んだこともあるけどね。



  19. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/21(水) 22:39:15 コメNo.55091
  20. 映画化希望、普通に見に行く



  21. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/21(水) 22:39:22 コメNo.55092
  22. 勝てるわけないっつの。責めるなら早期講話できず無条件降伏したことを責めろよ。



  23. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/21(水) 22:42:43 コメNo.55094
  24. 今やぶよぶよのネトウヨが愛国者を標榜する日本国



  25. 名前:名無しさん@ニュース2ちゃん 投稿日:2012/11/21(水) 22:57:18 コメNo.55100
  26. アジア全体では勝ったじゃないか。
    植民地の白人たちは欧米に引き上げてアジアはほとんど独立した。
    白人たちは奴隷の代わりに移民を呼んで頼ったり無理な連携したら
    そこらじゅう社会めちゃくちゃで金欠になってる。
    半島人も一緒に白人を追い返したんだからそこを正直に誇りゃいいのにな。

    母方のじっちゃんは満州で馬医者やってて、ばっちゃんは身重で
    ソ蓮参戦ちょい前に現地の人にかばってもらって引き揚げ船に乗ったよ、
    戻ったら半島人がひどかったようだけど。
    その兄貴の大伯父は半島人と組んでやくざな商売で成金になったけど孤独死。
    こっちのじっちゃんは兵役を落ちていじけてぬくぬくDVヒモ亭主しながら
    戦争をやり過ごしたよ、ギャップがひどすぎて、もうね。
    当時も今も、すごい人はすごいし、駄目なやつは駄目。



  27. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/21(水) 23:06:54 コメNo.55101
  28. これの逆バージョンテレビで見たな
    日本人が中国人?探すやつ
    良い話や



  29. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/21(水) 23:13:04 コメNo.55106
  30. 多くの人たちってつらい体験って、そうそう語るものじゃないんだよな。もちろん、未来に必要ならば語るって人もいるだろうけど。
     大勢でべらべらとつらかったとかいう人って、実際は同情集めて注目されたいだけでさほどつらくはないんだよな。
     ソースは俺(つらい体験をした)と俺の友達(たいしてつらくもないのにストレスたまるとかでぶでぶした体で言うやつ)。



  31. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/21(水) 23:19:03 コメNo.55107
  32. ※12
    やりすぎたんだよ。
    戦争当事者は語りたがらない。
    指導者は結局日本単体では負け戦だったのだから、連合の顔色見て謝罪の嵐。
    露と米の息の掛かった教師に愛国なんて古臭い、役にも立たないと吹き込まれ愛国心も持てず。
    そんな日本がどんどん蝕まれる中、景気が良かった頃はよかった。
    人の意識はそういった事に関心を寄せず、豊かになれば負けてもそれが正しかったと主張できた。
    でも今は違う。
    豊かさを隠れ蓑にするには、景気は悪く格差は大きい。
    情報を制限しようにも、ネットの存在が情報の遮断を困難にし、不満と共に極端な世論が出来上がる。
    それでも右と言うには拙いけどな。
    憂国騎士団みたいのが出てきたら、末期だわ。



  33. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/21(水) 23:20:54 コメNo.55108
  34. ※1
    「国の為」の『国』を“国家”と捉えるか
    “故郷(或いは郷土)”と捉えるかで大分変ってくると思う。

     …当時の帝国軍人もそりゃ色々いたとは思うよ。
     当時は朝鮮半島なんかも日本の一部で同胞と考えられてたし…

    とりあえず間違いないのは私達の祖父母達の世代は現在の私達には
    想像もできない時代をなんだかんだ言って生き抜いてきたって事。



  35. 名前:名無しさん 投稿日:2012/11/21(水) 23:35:06 コメNo.55112
  36. 共に命の駆け引きをしてきた戦友との絆は堅いな。



  37. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/21(水) 23:36:31 コメNo.55113
  38. 今の中国見てると日本人を助けるとはとても思えない件



  39. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/21(水) 23:44:34 コメNo.55114
  40. 昔の中国人はまともな人がいたんだな。
    満州で日本人と中国人はわりと仲が良かったから匿ってくれたんじゃないのかな~とか、まともな人ほど中国の現状が許せずに、文化大革命で殺されたのでは~とか想像してしまう。
    今じゃ国策の反日教育のせいで反日国家だからな。昔の中国人と今の中国人は同じじゃないよ。



  41. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/21(水) 23:53:53 コメNo.55117



  42. 逃げまくったジジィのお話ですwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww




  43. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/21(水) 23:59:52 コメNo.55120
  44. 弟を守れと言う言葉に「守るために生き抜け」という意味を含んでいる気がして胸が詰まる



  45. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/22(木) 00:02:38 コメNo.55121
  46. 中国残留孤児の話を聞いて中国人の懐の深さに感心したものだが、ホントに今の
    中国人と同一民族なのか。



  47. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/22(木) 00:11:34 コメNo.55123
  48. ※になんかわいてるよお><
    ※21は一度も逃げたことのない立派な人なんだね スゴイネー っていうかすごい言いがかりだな



  49. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/22(木) 00:17:13 コメNo.55127
  50. >>607
    色々衝撃すぎるが、ばあちゃんが必死で生き抜いてくれたから今の私がいるんだなと思って
    頑張って生きようと思ったよ
    >>594のお祖父さんもそうだけど、戦争を生き抜いた人は強いね

    なんか泣いた…。
    今身心共に色々辛くて一気に死んだ方が楽だと思う
    でもそれも違う気がするんだよ。自殺なんてやっぱり傲慢だよね
    前人が何とか生き延びて今の人達がいるのにね



  51. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/22(木) 00:19:22 コメNo.55129
  52. 母が一歳の頃に亡くなったじいちゃん、戦艦が沈んじゃたから遺骨としておばあちゃんが受け取ったのは杉と石ころなんだって
    他の家族と違いじいちゃんの記憶のない母は、就職で実家を出る時遺影になった写真の原本をこっそり持ち出した
    そしてたまーに「お父ちゃん格好いいでしょ?」と私に見せてくれる
    確かにじいちゃんは男前
    「兄貴は似てるけど、私は似てないもんなぁ~」と必ず続く事にある時気が付いた
    母は、一昨年靖国神社にお参りに行った
    旅行好きで思い立ったらさっさと出掛ける母だが、靖国神社だけはどうしても行けなかったらしい
    でもおばあちゃんが亡くなったので、じいちゃんに報告する為に重い腰を上げたらしい
    行く前に念入りに調べてから出掛け、帰ってからも珍しく興奮していた
    母の戦後はまたまだ続いてるんだな



  53. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/22(木) 01:05:39 コメNo.55138
  54. 捕虜になっていても上官の命令で逃げたんで無ければ脱走兵
    当然ながら上官には責任が有るから処分が有る



  55. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/22(木) 01:39:19 コメNo.55143
  56. 逃げる度胸もない奴が何やら喚いております



  57. 名前:鬼女速名無しさん 投稿日:2012/11/22(木) 01:49:51 コメNo.55145
  58. 珍しい話ではない。
    戦争を経験した世代の人は皆それぞれハードな逸話を持っている。
    戦争体験を自費出版して同じ部隊の人に進呈してる人とかいるよ。



  59. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/22(木) 02:19:38 コメNo.55150
  60. うちのおじいちゃんおばあちゃんも慰問袋にまつわる素敵な話があるんだ
    おじいちゃんは私が生まれる前に亡くなっちゃったけど、おばあちゃんは今でも大事に写真を飾ってる
    小さな頃から「おじいちゃん男前でしょ~」と自慢されていたが、マジで男前
    しかし私の母と伯母(母の姉)はおばあちゃん似。もちろん私も。あの遺伝子どこいった!!



  61. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/22(木) 02:22:50 コメNo.55151
  62. 尖閣暴動もあったけど、やはり俺の中では中国人アツイよな。そりゃ足むけられねえ(涙)



  63. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/22(木) 02:31:15 コメNo.55154
  64. WW2では降伏したけど、現在は、開戦時の目的は達成してるじゃん。



  65. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/22(木) 02:38:09 コメNo.55155
  66. >>607はひいお祖母ちゃん似なのか・・・
    成長した自分の孫が自分の母親に似てる、
    しかも自分はその母と辛い別れをしなければならなかった・・・
    となれば、そりゃ顔見るたびに涙ぐむだろうなあ
    でも本当に生きてて良かったと思うよ



  67. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/22(木) 03:14:55 コメNo.55158
  68. うちの祖父は満州で終戦直前に現地召集されて戦車の操縦者やってたらしいが、逃げてなかったらソ連の戦車に確実にやられてたわ。母方の祖父はシベリア抑留されたけど半分以上戦友は死んだらしい。



  69. 名前:鬼女速名無しさん 投稿日:2012/11/22(木) 03:17:27 コメNo.55159
  70. そのままシベリア抑留されてたら、10年近く帰ってこれなくてマジ死んでたかもなあ・・・



  71. 名前:  投稿日:2012/11/22(木) 03:55:18 コメNo.55164
  72. 今の中国と当時の中国では色々と違うからね。



  73. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/22(木) 04:49:24 コメNo.55170
  74. 母方の祖父は片目が見えなかったため戦争にはいかなかった。
    その代り、祖母と満州に渡っていた。
    向こうである程度の財産を作り、娘も二人できたところで、終戦。
    今まで貯めたお金は紙くずになり、日本への命がけの逃亡が始まった。
    上の娘は栄養失調で。
    下の娘は、背負っているのがずれて背中で窒息死したらしい。
    下の娘(母の姉)の死因は、母はただの栄養失調だと聞かされていた。
    私が祖父に戦争の話を聞いたのも最晩年のその一度きり。
    私の伯母2人は、中国の何処かに眠っている。
    もちろん遺骨もなく、ほんの少しの遺髪と、遺影は本土の親戚からもらったそうだ。
    祖父が亡くなり、一息ついて遺品を整理した時、最後まで祖父が大事にしていた鞄の中に
    伯母たちの臍の緒が入っていたらしい。
    幾つになっても、孫ができても、亡くした子供の事は思いきれないのだと思った。
    また、叔父の名前は、戦時中とても世話になった人の名をもらったそう。
    戦後50年以上経った頃、どうしても礼を言いたいからとその人の行方を捜したらしい。
    消息はつかめたものの、その恩人は銃殺されていた。
    その事実を祖父に伝えたのかどうか、私は知らない。
    今のこの平和な時代ですら人生にはいろいろドラマがあるのに、戦時中はもっとそれが身近で当たり前だったんだろうな…。



  75. 名前:鬼女速名無しさん 投稿日:2012/11/22(木) 05:58:25 コメNo.55172
  76. ウチの少し前に亡くなった爺さんはシベリア抑留組で戦後も長い事帰ることが出来ず、
    作業中にトラックに胴体を轢かれた後にさらにバックして来て轢かれてとどめを刺されかけたが無事で、
    日本に帰還した時に迎えに行った爺さんの兄弟の話では痩せる事も無く日焼けして元気で帰ってきたと言っていた
    爺さんは寡黙なタイプだから事実だったんだろうなと思う



  77. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/22(木) 08:38:14 コメNo.55192
  78. うちのじいちゃんもシベリア抑留組
    でも、シベリアにいた頃のことは絶対に話してくれなかった
    そうとう辛い記憶だったようみたい



  79. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/22(木) 08:53:04 コメNo.55196
  80. 10年前に亡くなった父は男7人兄弟の5男で、長男から5男まで徴兵された。でも5人全員生きて帰ってきた。父はシベリアに抑留されたが、その間の食糧はどんなに少なくても班の全員で平等に分けて班全員生きて帰国したらしい。戦争中は1週間ずっと腰まで泥水のなかにつかっていたとか、死体がゴロゴロころがってる中を歩いて行ったとかポツポツと話してくれたけど。
    それからあの戦争に負けた責任は軍上層部にのみある。兵士たちは自分の家族を守るために戦ったのだから。



  81. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/22(木) 09:13:33 コメNo.55202
  82. ボケちゃった爺ちゃんがよく戦争の頃に戻っちゃってた。
    起床ラッパの音がするんだって。
    90過ぎて大往生だったけどあっちで会いたがってた戦友に会えただろうか。



  83. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/22(木) 09:36:32 コメNo.55210
  84. 国のために戦争してたのは大本営のエリートだよ



  85. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/22(木) 09:40:50 コメNo.55212
  86. ちょっとびっくりした。
    うちの亡くなった祖父が594とほとんど同じ話をしていた。
    ただ、祖父は結局、誰とも再会できなかったらしいが……。

    似た話がいくらでもあることなのかもしれないけど、
    もしうちの祖父といっしょに逃げた人だったなら、とか思ってしまった。



  87. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/22(木) 10:31:51 コメNo.55228
  88. ※43
    594のお祖父さんははじめ「友人たち」と逃げたんだから数人いたんだろう
    あなたのお祖父さんがその中にいた可能性はあるんじゃない



  89. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/22(木) 11:16:16 コメNo.55253
  90. ※9もつらい話だなぁ。
    戦友の集まりにも呼んでもらえなかったのは、※9のお祖父さんを「見捨てた」うしろめたさなのか、
    それとも命に反して生き残ったことに対してわだかまりがあったのか・・・



  91. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/22(木) 11:23:21 コメNo.55255
  92. 想像もつかないくらい過酷な場で助け合った戦友は離れてても一生大切な人みたいだね
    祖父にもそういう人がいた



  93. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/22(木) 11:42:40 コメNo.55263
  94. しれっと左翼が混じっててワロタ



  95. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/22(木) 12:26:57 コメNo.55281
  96. 殺し合うのは軍人じゃなくて兵隊なんだよね



  97. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/22(木) 12:55:13 コメNo.55299
  98. 家のじいちゃんはシベリア行って帰ってきたぞ。
    馬糞を食べて生き延びたって言ってたな

    こういう方々がには頭が上がらない。
    ご先祖が死ぬ気で守り抜いた日本をこうも簡単に
    売国してる今の連中はなんて愚かな事だろうか。
    日本が嫌いならさっさと外国へ行けよ。日本人の迷惑です



  99. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/22(木) 13:04:10 コメNo.55304
  100. 売国は儲かるんですよ
    国が嫌いなわけじゃありません



  101. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/22(木) 17:28:39 コメNo.55380
  102. 日本人が何の不安も無く幸せに暮らせる国は日本しかないんだよ
    その生活を守る為に昔の人は戦った
    「お国の為」ってのは日本国民の生活や幸せの為ってことだよ
    自分の祖国を捨てて移民になる連中の殆どは幸せじゃないのを見ればわかるでそ



  103. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/22(木) 22:06:30 コメNo.55470
  104. ウチの爺さんは、対戦初期に徴兵されて満州で戦ったって聞いたな。
    戦局が悪化する前だったからか、なんとか生きて帰ってこられたみたい。
    17年ぐらい前に唐突に中国の番組か何かから出演依頼来て、インタビュー受けてた。
    番組のビデオ持って帰ってきたから見たんだが、向こうと微妙に規格が違うのかわからんが、音割れ酷くて爺さんが何言ってるのか、上手く聞き取れなかったんだよな。
    字幕もあったが、全部中国語で読めなかったし。
    なんか、向こうの村で何かやってたとか、そんな内容だったとは思うんだが。
    村人と一緒に写ってる集合写真が紹介されてたから、そんな悪くは言われてなかったと思いたい。
    爺さんは数年前から心臓悪くして入退院繰り返して、今は意識不明で入院中。
    身体も弱ってるから、次心臓止まったら蘇生は出来ないって言われてる。
    ビデオどこにしまったか、聞いとけば良かったかな・・・。



  105. 名前:名無しさん 投稿日:2012/11/22(木) 22:41:06 コメNo.55486
  106. うちの亡くなった母方祖父は、飛行機の技師だったので戦場には行かずに、内地で飛行機の整備や製造に携わっていたそうだ。
    自分が関わった飛行機で特攻に赴く兵士がいる事が悲しかったと言っていた。
    ただ、戦後持っていた長屋の関係で朝鮮人の酷い所を何度も見たので、極度の朝鮮人嫌いだった。
    父方祖父は、軍の関係で満州に家族で赴任していたのだけど、なんとか捕まらずに帰国できた。
    でも、やはり大陸で中国とロシアに酷い目にあったのと、世話をしていてすごく仲が良かった中国人達が手ひどい裏切りをしたため、中国人の事は死ぬまで信用ならないと言って嫌っていた。



  107. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/23(金) 01:54:39 コメNo.55526
  108. お国の為には建前だったかもしれんけど、皆自分や仲間、家族のために必死に戦ったんだろうな。



  109. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/23(金) 11:29:49 コメNo.55610
  110. すごい話だ



  111. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/23(金) 11:57:16 コメNo.55619
  112. 祖父は15歳から日記をつけていたらしい。
    戦争時もつけていたが、終戦のときに焼かれたらしい。
    何があったんだろう…。



  113. 名前:おさかなくわえた名無 投稿日:2012/11/24(土) 05:01:09 コメNo.55792
  114. 負け戦とわかっていながら、アメリカの不平等な圧力に
    対抗しなきゃいけなかった。
    引き際がわるかったとか色々失敗もあるけど、
    フィリピンみたにボロボロにされなかったのは
    戦ったからではないかと。

    うちの祖父は通信士で過激なことはしなかったが
    寡黙すぎて何も語ってくれなかったなー。



  115. 名前:鬼女速名無しさん 投稿日:2012/11/24(土) 12:35:10 コメNo.55848
  116. うちの爺ちゃんは「命かけて戦争行って、最後は紙切れ一枚(賞状)で終わり」ということで泣いていた



  117. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/26(月) 15:02:25 コメNo.56403
  118. そりゃあ、どんなに言い訳したって逃げた事実は消えないから、本人がそうそう語るわけないわ。
    しかも、自分が見捨てた形の友達のほうから連絡されたら泣くしかない。



  119. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/11/27(火) 22:06:04 コメNo.56762
  120. 逃げたってのはソ連からであって自分の部隊からじゃないので無問題。
    特に若い軍属だったとしたら上が逃がしてくれたらしい。
    そして満州辺りで逃走していたなら助けてくれたのは満州人じゃなかろうか。
    今は中国に呑み込まれているが満州は元から中国じゃないし民族も違う。満州人は反日が酷くなかった。



  121. 名前:ななふし 投稿日:2012/12/03(月) 03:00:42 コメNo.57960
  122. 一昨年亡くなった大伯父は、大東亜戦争中、大陸派遣軍で給水部隊にいた。
    ちょっと説明すると、清潔な飲料水の確保には伝染病の予防と部隊の健康管理の意味があり、軍医や衛生兵も配置されていたらしい。
    部隊長は日本兵ばかりではなく、駐屯地周辺の中国人の健康にまで気を配り、飲料水の管理法を伝授し、場合によっては治療や薬品まで分けてやったらしい。(これ厳密には非合法な横流し)

    結果、地元住人は完全に「親日派」になってしまい、潜入してきた赤匪の工作員は住人の手で突き出されてしまうので警備の必要さえ感じなかったとのこと。終戦まで騒ぎすらなく平穏だったそうだ。

    横流し?がばれてしまい、師団長から公式にはしかられた後、「良くぞやってくれた」と酒(どうも日本酒ではなかったらしい)をたくさん貰ったとか、エピソードは色々あったらしいが省く。

    結果、終戦後に大伯父のいた部隊は1人も欠けることなく帰国できたのだが、万一自分達と地元の交流が共産政権にばれると大変なことになると言う事で、全員戦後50年以上口を閉ざしていたそうだ。

    葬儀の時、90歳を超えた大伯父の戦友さんから聞いた思い出話



  123. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/12/13(木) 06:54:25 コメNo.61173
  124. うちは父方母方共に戦前までは裕福だったらしい
    軍人さんは当時のエリートコースのひとつだったらしく、文武両道で学費も用意できた両祖母の兄や従兄弟達は上の学校まで行って職業軍人さんになり、戦争が始まって早々に戦死、まわりからは英雄とたたえられ、怪我をして帰ってきた兄の一人は非国民呼ばわり
    しかし終戦後はまわりの人間は手のひらを返して犯罪者の家族呼ばわりをされるし
    テレビでもドラマでも戦争を描くときは無理やり徴兵された一般国民(プラスアジア)は被害者、軍のお偉いさんは悪って構図ばっかりで、8月ぐらいの戦争関係の番組が放送される時期になると祖母は凄い顔でテレビ見てたな・・・



  125. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/12/18(火) 07:03:41 コメNo.62918
  126. ※欄も( ;∀;) イイハナシダナー
    日本を命がけで守って下さった先人達には頭が下がる一方だ…
    ふとククリット・プラモード氏(タイ国元首相)の言葉が浮かんだよ。

    「日本のおかげでアジア諸国はみな独立した。
     日本というお母さんは難産して母胎をそこねたが、
     生まれた子供たちはすくすくと育っている。
     今日、東南アジア諸国民が米英と対等に話ができるのは、
     一体誰のおかげであるか。
     それは身を殺して仁を為した日本というお母さんがあったためである。
     十二月八日は我々に、この重大な思想を示してくれたお母さんが
     一身を賭して重大な決心をされた日である。
     我々は、この日を忘れてはならない。」
      (一九四五年十二月八日 現地の新聞「サイアム・ラット紙」において)

    日本人も忘れちゃいけないよね。



  127. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/12/21(金) 13:38:26 コメNo.64053
  128. 祖父は部下を日本の家族のもとに絶対返してやるという思いでムダ死にだけはさせないよう頑張ったつもりだと言ってた。
    だけど自分が帰国したら妻と子ども4人全員死んでしまってたんだと。 
    10年くらい廃人同様でやっと祖母と再婚したんだけど最期まで酒に溺れてた。



  129. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/12/22(土) 18:05:13 コメNo.64441
  130. 命がけで戦った末の今の日本を見たら、なんて言うんだろうな…。



  131. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2012/12/22(土) 22:48:42 コメNo.64518
  132. 文革でまともな中国人は死に絶えたと思う。芙蓉鎮って映画みてみそ



  133. 名前:鬼女と喪女と名無しと 投稿日:2013/01/27(日) 01:30:50 コメNo.72632
  134. 異国の地で祖国のために、大切な人のために戦った方々のことを風化させたくないね。

    うちの祖父も満州に徴兵されて、でもすぐ結核が判明したらしく帰国した。戦局が激しくなる前で、またすぐに帰国できたもののもう少し発見が遅れていたらそのままなくなってたかもしれなかった、と祖母に聞いた。判明したときは、呼吸が通常の半分以下にまで減っていたらしい。よく生きて帰って来れたな、と思う。
    この話を祖母から聞いて、祖父から直接聞いてみたかったと思ったね。もし自分の祖父や戦争帰りの方が近くにいるなら、もしその人が話してくれるようならご存命のうちに話を聞いてみることをおすすめする。



コメントの投稿






管理者にだけ表示を許可する
お暇なときに

スポンサードリンク
鬼女・毒女記事一覧
一週間分最新記事
月間人気ページ
最新コメント
折りたたみコメント一覧
Comments<>+-
Trackback <> + -
ひきずりまわし