最近(今更)知った衝撃の事実・喪女版19
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897 名前:
彼氏いない歴774年[sage] 投稿日:2012/11/22(木) 03:18:50.39 ID:0j4BB6Gx
上の方に戦争関係の話題があったので私も
編集注:関連したお話→戦争時に修羅場をくぐり抜けてきた祖父が、号泣して膝をついた
仕事でどうしようもないミスをしてしまい次の日に仕事に行きたくないってふさぎこんでた時
家に帰りたくなくていつもは乗らない電車に乗って他県まで行ってみたんだ、仕事帰りに
そこは2chとかでは戦闘民族がいるとか未開の地だとかふざけて虚飾されていたりするんだけど、そこの大き目の駅で降りてお腹がすいていたので飲み屋っぽいところに入ったんだ
サンマ定食とビールを頼んでぼんやりと俯いていると臨席のおじいさんに話しかけられた
ずいぶんと負のオーラがでてた自分が心配だったそうだ
白髪で薄い髪だったが、左目の下に大きな古傷が印象のそのおじいさんに言っても仕方ないと思いつつ、聞いてもらえるのが嬉しくてべらべら愚痴ってしまった
しまいには嗚咽交じりになってしまった自分の背中をさすってくれて私が泣き止むとウーロン茶をご馳走してくれた
その時こう言ってくれたんだ
「私が君くらいの時は戦争があったから仕事の悩みなんてなかった。でも恐い上司はいたよ(笑それと大事な部下もね。君が悩んでいるのは仕事に真剣に取り組んでいるからなんだ、その事を自信に持って欲しい
いつか君が部下を持ったときに君が守ってあげられるよう、今はつらいが挫けてはいけないよ」
それから戦時中の話(陸軍の小隊長としてビルマというところで戦っていたそうだ)をしてくれて地雷原を突破する時にもう絶対ダメだと思ったこと、それでも生き残れたことを静かに語ってくれた
私は自分が修羅場だと思ってた事と地雷と弾丸の嵐の中を走れといわれた事とを比べて恥ずかしくなったよ
でもそれに加えて、この話をどこかで聞いたことがあるなと思ったんだよね、それは多分同じく戦争体験者の祖父の話(後出しですが祖父も私たち家族と一緒に暮らしています)
それで聞いてみたんだ、○川○○(祖父の名前)という名前に聞き覚えはありませんかと
それまでおっとりしていたおじいさんの背筋が延びたかと思うと私の顔をマジマジと見て「○川○○、上等兵。小銃の扱いに関して天才だった」と
私は驚いたが何とか孫である事を伝え、祖父が酔うと話してくれた戦争の話を話した
それでこのおじいさんとの話にずいぶん食い違いがあってさ
・祖父の話
要約すると戦地で足とお腹?を打たれて仲間におぶってもらってやっとのことで帰ってきた
・おじいさん(祖父の所属していた隊の小隊長)の話
祖父は小銃射撃の名手(いわゆるスナイパー?)でいつも危険な場面を真っ先に志願していた
ビルマ戦線で退却中に地雷地帯に迷い込んでしまい、退却速度ががた落ちになってしまった
その時に最後尾で敵を食い止めたのが私の祖父だが、その最中に銃弾を足と腹に受けてしまった
おじいさんたちは地雷の除去?で安全地帯を作ったあと祖父を省みたが倒れてて苦しんでいたそう
助けに戻ろうとした時に祖父が「俺はここまでです、一発で(頭か心臓を撃ってくれの意)お願いします(当時の日本軍人は捕虜になることが死ぬことより恥だった)」と頼んだそう
でもおじいさんはそんな祖父を見捨てずに地雷原の中に戻って祖父をおぶって逃げてくれた
祖父に聞いたときはなんてドジなじいちゃんなんだろ助かってよかったねと思ってたのにこんな真相だったとはえらい衝撃でした
祖父ばかりか孫の私までこのおじいさんに救っていただいて本当の意味で恩人です
このたび祖父と小隊長であるおじいさんが再会して、お酒を飲むことができたので記念にカキコ
長文失礼しました
898 名前:
彼氏いない歴774年[sage] 投稿日:2012/11/22(木) 03:44:05.30 ID:0wPib/7k
>>897
なんてすごいお話なんだ…
あなたはおじいさんたちを引き合わせるためにきっとミスして落ち込むことになったんだね
もう戦争経験者はみんな高齢で亡くなっている方も多いし
戦友でもどこでどうしてるか分からない人だって多いだろうから
偶然飲み屋で隣になったおじいさんが…なんて本当に奇跡みたいだわ
どちらのおじいさんもとても素晴らしい人だね
900 名前:
彼氏いない歴774年[sage] 投稿日:2012/11/22(木) 04:18:42.27 ID:g9ga/LML
>>897
落ち込んでいる見知らぬ喪女を励ましてくれるおじいさん、
凄腕なのにドジのふりをする>>897のお祖父さん…
どちらも素敵だね
901 名前:
彼氏いない歴774年[sage] 投稿日:2012/11/22(木) 05:05:40.40 ID:8uwCdHtQ
長生きするもんだねえ
いいご縁だ
903 名前:
彼氏いない歴774年[sage] 投稿日:2012/11/22(木) 06:41:42.39 ID:QgK/cyLI
>>897
すごーい!!!
映画見てるみたい
人の縁ってあるんだね…不思議
897が引き合わせたんだね
この流れで失礼かもだけど見知らぬ土地で知らないオジサンに変な事されたらどうしようと途中までハラハラして読んでた
その土地、場所、オジサンを選び出した897さんの底力に乾杯
907 名前:
彼氏いない歴774年[sage] 投稿日:2012/11/22(木) 08:27:35.08 ID:VAKUMSUx
>>897
涙でた
910 名前:
彼氏いない歴774年[sage] 投稿日:2012/11/22(木) 10:12:46.02 ID:mwZ75h3L
>>897
小説になりそうな素晴らしい内容と文才にも感動した。。。
911 名前:
彼氏いない歴774年[sage] 投稿日:2012/11/22(木) 10:40:16.83 ID:Dz+eIhVf
>>897
私の背筋も伸びたことをご報告
912 名前:
彼氏いない歴774年[sage] 投稿日:2012/11/22(木) 11:11:48.02 ID:/E9MjwVo
>>897
水島、帰っていたのか…
925 名前:
彼氏いない歴774年[] 投稿日:2012/11/22(木) 15:21:14.29 ID:/VSa88uv
>>897
ドラマ化決定
喪女・・・光浦靖子
祖父・・・高倉健
戦友・・・石原慎太郎
927 名前:彼氏いない歴774年[sage] 投稿日:2012/11/22(木) 15:24:42.09 ID:zoXlPZl4
>>925光浦はないでしょーが
914 名前:
彼氏いない歴774年[sage] 投稿日:2012/11/22(木) 11:49:02.28 ID:hEPsXtag
>>897
いい話をありがとう
実際に戦争を経験された方の話は貴重だよね
祖父が生きてた頃にもっと聞いておけばよかったと今更後悔してる
913 名前:
彼氏いない歴774年[] 投稿日:2012/11/22(木) 11:39:08.97 ID:iKCzJcUl
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戦争いってた方なら、もう若くても80半ば過ぎ
903の心配するようなことはまずないだろうw
若い人にはもう戦争が遠くて、戦争経験世代の年齢なんてぴんと来ないのかもなあ
いやはや、すげーな、としか言い様がないな。
いや光浦以前に慎太郎がないわー
くそっ光浦で笑ってしまったwww
うちのじーちゃんは南方から帰ってこなかった。
色々と事情があって、お骨も位牌も遺影すら我が家にはない。
孫である私は、じーちゃんの名前すら知らないんだ。
無事に生還されて孫と語り合うことのできるお祖父さん、その話を聞けるお孫さんたちが
羨ましい。
凄い話だな
偶然で片付けたくない何かがある
爺ちゃんに戦争の話聞いときゃよかった
でも本人からしたらもう思い出したくない話なのかなあ
すごい 言葉にならない
必然というしかない回り合わせって真実にあるんだな…
じーちゃんたちにはただただ敬礼(´;ω;`)ゞ
ドラマは無理でも、アンビリバボー辺りで取り上げられてもおかしくない話だな。
凄腕スナイパーがドジのふりなんて、日本人らしい奥ゆかしさなのかな。
日本のために戦ってくださったお爺様たちに敬礼。
どうか幸せに長生きしてください。
少年兵って、大正14年生まれまでだったと思う。
ボケてない方の方が少ない年代だよ。
生死の境をさまよって、必死で生きて…性格の悪い人もいるけど(ソース:うちの親戚)
母が末子で昭和10年代生まれの上、私は遅い子。 戦争の話はギリギリ聞いてるアラフォーです。
同世代の知らない話をいっぱい聞いて育って、生きてるだけで楽しいと思ってる。
聞いて、感嘆しない話はないから。 生んでくれてありがとうって気持ちになれるよ。
昭和一けたの人の話もグっと来る。 中二病のレベルが違うというか真面目というか…
若い方も、機会があったら是非聞いて欲しいなと思います。
自慢話を間抜けな話に変えたじいさん。
なぜなんだろうな。
俺は仕事柄じいさん相手と話す機会が多いけど戦争の話を聞くとみんな
喜んで話し出す。
そこにいる家族は例外なく嫌な顔をして部屋から消えたりする。
70年後半からのマスコミ・教育の影響で孫にまで悪党・人殺しと言われ、戦争の
話はできなくなったと皆涙するんだな。
この爺様が、そういう胸中で無かったと願うばかり。
こういう話を聞くといいなぁ、羨ましいなぁと思う。
うちのじさまもビルマで死んだって話だもんなぁ。
祖母も亡くなったし、もう話出来る人いないんだよね。
出征中の話を、いくら請われても話さないおじいさんが親戚にいる。
戦中戦後にかけて色々見てきたから仕方ないのかな、と思うけど、やっぱり残念だよ。
里の亡くなったおじいちゃんも戦争の話はあんまりしなかったな
知ってるのは足撃たれて今でも傷痕あるくらいだった
お国のために死になさい、って教育されてきたお祖父さんには生き残ったのは恥だったんじゃないかな。
だから、自分が悪いって話になってたんじゃないかな。
話さないのは自責の念もあるかもしれんが
実際に敵を殺したりした経験もあるかもしれん。
うちのじいちゃんはテレビで中国での戦争を見て
静かに泣いていて聞いてはいけないような気がしたな。
死んで最近親にもそのことを話して人を殺したりしてるかもよ、
と言ったら今まで考えたこともなかった、とよ。子供ですら
戦争とは何かを考えなかった世代なのかもしれん。
再会出来て良かった…泣ける
空襲の話は聞いたなぁ。婆ちゃんが、グラマン(だったか?)は低空だと音がしないと言っていた。
道路に沿って、音もなくすーっと目の前を通って行ったって。想像しただけで鳥肌たったわ。
なんでだろうね、ジワーって涙が滲んだ。
黒の太字に私も泣いた。よし、気持ちをたて直して頑張ろう
再会出来て本当に良かったね
だが戦友役に石原慎太郎はないわ
じいさんの自虐ではなくて日本の空気がいきなり変わって
兵隊さん=犯罪者 のようになったんだよ。
完全に他国にコントロールされた。
話したくても、話せない。
悪人扱いされるもんな。
おまえらも、まだ生きてる爺様がいたら聞いてやれ。
「じいさん、すごかったね!」みたいにな。
私の祖父もビルマに行ってた。
祖父のことも知っているだろうか。
私の祖父は、もう亡くなってしまったので
祖父が耳タコな位話してくれた、戦時中の話が懐かしい。
またいつか聞きたいなぁ。
こういう話きくと、背筋がピンと伸びるわ。
俺も元気出た。
1さんのおかげで生きる気力がわきました!!!!!
日本人で…良かった
区切らない文と、()多用が読みづらい
ビルマがわからないとか、ジェネレーションギャップ!
オバマもミャンマーって言ったらしいし、時間は流れてるねー。
俺も、知人の死の件で飲み屋で騒動起こしてしまったんだけど、店主と見知らぬ客達が気を使ってくれて救われた事があったよ。
隣に助けが必要そうな奴が座ってたら、声かけてみようと思った。
禁酒中だけどな!
こういう出会いって凄いよね。私の母方の祖母にも何度も聞かされてる話があるよ。
母方の祖母も、父方の祖父にお世話になったという人に偶然電車で一緒に
なった事があったらしい。
戦時中、長崎の大村にいた父方の祖父は軍の資材関係の仕事の責任者?をしていたけど、
朝鮮の人達にも平等に接していて、お風呂や怪我の治療も他の日本人と同様にするように
していたらしい。
そして私の母親の結婚が決まった後に、たまたま祖母はその朝鮮の人と電車で乗り合わせて
話をしていたら、その人の世話になった人が自分の娘の結婚相手の父親という事がわかって、
「あの時の恩は忘れません。ぜひお礼を伝えて欲しい」と言われたとか。
世間って狭いよね。でも奇跡的な出会いだと思うよ。
当時のお祖父さんの年齢がわからないけど、もし子供(報告者の親)を持つ前の出征なら、
それこそ報告者や親がこの世に生まれる為の恩人でもあるよね。
お祖父さんとの縁の部分がなくても、すごくいい話なのに、
いやぁすごい話だ。
偉大なのはグンマーのパワーだろ?
すげーなー まさに事実は小説より奇なりだな
そのお爺さんの優しさに泣いた 昔も今も辛い人を放っておけない人なんだろうな
俺のじいちゃん、出征するも何もしないうちに大病にかかって送り返されたと
笑いながら言ってるけど、実は話したくないこととかあったのかな
隣爺「でも恐い上司はいたよ(笑」
報告者の祖父が鬼上司だった!!とかじゃなくて良かった
なんかの運命なんだろうな。
感動した。
光浦、グンマーへゆく
私の祖父も ビルマに行って帰ってきました(陸軍の衛生兵でした)。
仲間を助ける側の衛生兵だったこともあってか
私には戦争の話をよくしてくれて その内容を今でも明確に覚えています。
(ビルマには 親日民族と反日民族がいて、ジャングルで
親日に出会えば生きられ 反日に会えば即死…という状態だったそうです。
祖父は親日の人たちに大変よくしてもらったそうで、
彼らからバナナのなる場所を教えてもらって生きられたと言っていました。
死ぬまでバナナが好物でした。)
ただ 大人になってから思い出してみると
話された内容は真実ながら オブラートに包みまくって話していたのだなとよくわかります。
なんだかその辺に 祖父の気持ちを感じて
「自分は とても愛された孫」だったのだなと 最近よく思います。
涙が止まりません。
お爺様と小隊長様の再会に、乾杯!
海自隊員が新郎の披露宴で、新郎のお爺様が昔海軍で大和に乗っていらしたのを知り、
新郎の上司や同僚が椅子を跳ね飛ばす勢いで敬礼した話を思い出しました。
戦争を美化するな
人を殺した話をしろ
>>32のじいちゃんもたくさんの運命の分かれ道を見てきたと思うよ。
図書館にたくさん当時を記録した本もあるんだし、まだご健在の方や話を聞かされて覚えてる親世代や親類もいっぱい居るんだから
いまのうちに聞ける話は聞いて、読める本は読んでおいた方がいいよ。
だらだらゲームやったり携帯を常に気にして弄ってるよりも、生きていく上でずっと大事なことだから。
でもここでこんな話くらいしか出ないってことは、いまが内戦中みたいなものだったことに気づいてない人が多いんだねぇ。ふむ。
良い話ですね
自分の母方の祖父は戦地で亡くなってしまったので…祖母の背中を見て、祖母の気持ちや祖父の事を思わされました
良い縁を作っていかなきゃですね!
なんだか不思議な話だな
これが人の世の縁というものか・・・
もう一度お店に行って、お二人を引き合わせてほしい。この話の続きはお二人が主人公だ。
うちの祖父も海軍にいたんだ。戦友とは心からの友のようだ。
すげーめぐり合わせだな
奇跡みたいだ
最前線にいたら、武勇伝として話すには憚られることもあるだろうね。
私の父方祖父は武勇伝的に軍隊話をよくしたけれど、母方祖父はほとんどそういう話しはしなくて、
一度だけ聞いたのが、泣いている敵の負傷した少年兵にとどめを刺すことになった時の話
命乞いをしていたのかもしれないが、武器を捨てていないので助けることはできなかった、って。
自分が子供や孫を持つようになったらそのことが思い出されてトラウマになったらしい。
※11
それは反日云々じゃなくて、家族にとってはさんざん聞き飽きてうんざりなだけだと思うw
父方祖父もそうだった。
そういうひとは、聞いて「すごーい」とか喜ばれたり驚かれなかったら機嫌が悪くなって始末に負えないしw
※38
銃の名手が殿で時間稼ぎしてたら、
当然敵兵を殺してると思うよ。
余裕があれば、敢えて負傷に留めて
救護の為に戦力を割かせたりはしたかもしれないけど。
それから、こういう話も戦争の中の事実の一つだ。
うちの祖父は、先天性の糖尿病のお陰で戦争には行かずに住んだ
当時の検査で医師にいい病気(たぶん、すぐに死ぬ病気ではなく、戦争に行かなくてすむ病気の意味かと)と言われて、呑気な祖父はお酒を呑むと(本当は飲んだらダメなはずなんだけど)いつもその話をしていた
おそらく、主さんのお爺さんは戦争とはいえ、人を殺していたのを話したくなかったんだろうなぁと思う
孫に人を殺したじいちゃんとは思われたくなかったんじゃやいかなぁ
小学校の頃の宿題で戦争の話ちょっと聞いたけど
やはりつらそうだったからそれ以来きいてないなあ
もう戦争知ってるのばあちゃん一人だけになっちゃった
鳥肌立った
あと仕方がないとはいえ孫に人を殺してるとは言いたくなかったんだろうね
想像できてしまうだろうし
つらいな
うちのじいちゃんは弾痕が足に残ってたな。
そのふさがってつるつるした傷あとをそっと撫でさせてもらった。
痛かった?
って聞くと、痛かったなぁってしみじみ言ってたことを思い出した。
大好きだったよ、じいちゃん。
素敵な話だ・・・
再開した際のお酒は、さぞかし美味しかっただろうなあ・・・
小隊長と○川上等兵に敬礼!(`・ω・´)ゝ
ウチはじいちゃんが南方から帰ってこなかった。で、戦争の話はばあちゃんから少し聞いた。
空襲の話。現代の湾岸戦争や、イラク戦争なんかを映像で観てたりしたけど、
ばあちゃんの話は数倍リアルで怖かった。
でも話が聞けてよかったと思ってる。
うちのじいちゃんは病気で戦争行けなかった。
母が3歳になる前に亡くなったとかで、母ですら顔も覚えてない(写真はあるけど)
それで「あの家は誰も戦争に行ってない」と近所中に爪弾きにされ、防空壕には入れて貰えなかったそうだ。
いつも庭の木の下にばあちゃんと伯父(母の兄)と母で隠れていたんだけど
ある日、爆撃で近所中が火の海になった。そこでばあちゃんが布団を風呂の水につけて
その布団を担いで屋根にかけあがり、布団でまわりの火を消したらしい。
それで近所に感謝され、防空壕には入れてもらえるようになったらしいが、勝手なもんだよね。
150cmぐらいしかない小さいばあちゃんなのに、よく水浸しの布団なんて持って屋根に上がれたなー
て小さい頃に聞いたら「ばあちゃんもびっくりした!」て言ってたw
もう亡くなったけど、もっと話聞きたかったわ。
戦争に行った爺さま達だけは無条件で尊敬してしまう
うちの爺ちゃんもたんたんと語ってたなぁ
退却中に地雷原に迷い込んだってことは敵の勢力圏に入ってたのに、そこを安全地帯にしたとか…
詳細なのに辻褄があって無くて、なんか作り話くさいなー
※欄がキモオタドウテイのネトウヨばかりwww
グンマーの不思議なパワーを感じたよ
腹に銃弾受けた場合、
まず助からないみたい。
銃弾のジャイロ運動が
内臓をかき回して
修復不能にするそう。
>>44
ダメだな、あなたは
旦那のとーちゃんは大正生まれで兵役に行った人で、通信係だったってことはよく話すけど、それ以外のことは話してくれない
何だか凄いな…
報告者のおじいさんが話さなかったのは多分人を殺した事を言いたくなかったんだろうな、って思ったら切なくなった。
家の祖父は医者だったために戦争には行かなかったから、そういう話は殆ど聞いた事がなくて、戦争がどういうものなのか想像もつかない。
でもこの話を読んで、上手く言い表せないけど人の縁ってあるんだな、とか、戦争って何なのかと、色々考えさせられた。
これがグンマーの奇跡か…!
この前飛行機距離のカーチャンの実家に帰ったとき、初めてじーちゃんから戦争の話を聞いた。
・・・じーちゃん、方言きつくてほとんど分からなかったよ。すまん。
グンマーの精霊に導かれたんですね、わかります。
俺たちが出兵する日も近いわけだが...
慰めてくれたおじいさんの言葉に泣いた…
しかし凄い巡り合わせ!!心が強い人たちに接してもらえて羨ましい
うちのばあちゃんも戦争話あまり詳しくは話さないんだ
私も聞きたいけどなんか聞けない
辛いこと思い出させちゃうかと思って
でも実際に体験した話は聞けるなら聞きたいね…
捕虜になるのは恥だから…っていうのもあるけどね、
負傷兵は足手まといになるから殺してくれって言ったんだと思うよ。
それで開発されたのが地雷。死んだ兵士より怪我した兵士の方が手がかかるから。
うちの祖父も戦争の離しよくしてたな。
バナナ畑の中に隠れてたとか、乗ってた船が沈みそうになってボートで逃げたとか。
今年の4月に亡くなったけど、やさしいおじいちゃんだった。
いい話しだ
けどなんか臭うw
地獄のインパールか、
ここから帰ってきた兵隊は、二十歳前後でも、まるで迫力が違うと
ベトナムでフランス相手に戦っていた方が言っていた。
>私の背筋も伸びたことをご報告
たまに面白いのが出てくる
>>58
別にかき回さなくても
普通は腸が破れたらアカン
なかなか、難しいよね。
こっちは戦争の話を聞きたくても、トラウマを掘り返す作業になることもあるし
うちの爺ちゃんもインパール経験者だ。
戦争体験は色々聞いたし、寄稿して本に載せて貰ったりした。
もしかしたら報告者のおじい様や小隊長さま、※12のおじい様とお会いしたことがあったかもしれないね。